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北九州市立いのちのたび博物館 [風景画]

新型コロナウイルス旋風が世界で吹き荒れている。パンデミックとならないか心配だ。
2002年のSARS、2013年のMARSの時も週刊誌等でパンデミックが危惧されていたが、いつのまにか終息していた。そして此度の新型コロナウイルスだが、昨年末に名前を聞いた頃は、中国の武漢で発生した特異な病気くらいに私は思っていた。インバウンドだ、オリンピックだと囃されて株式市況が上昇し、わが町でも外国人観光客がやたらと目に付いた。中国が深刻な事態を隠蔽しようとしている間に、旅行者によって世界中にウイルスが撒かれていた。ダイヤモンドプリンセス号にウイルスに感染した中国人が一人乗船していたことが判明してからの連日のニュースで、やっと危機感が伝わった。どこで感染するか知れない恐怖から、世の中が萎縮してしまった。新型コロナウイルスを貰わない、うつさないという受身の対処法以外に、特効薬が一日も早く開発されて平穏な日常が戻ってきてほしい。
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アストンマーティンDB4GT(1960年型) [車の絵]

アストンマーティンDB4.jpg
今年の一月は例年ほど寒くはないようだが、おかしなウイルスを貰うと大変なので、野外スケッチは少し暖かくなるまで待つことにする。
年末に取引先から頂いたカレンダーにお気に入りの車を見つけたので、絵に描いた。「古い」クラシックカーというよりは、デザインの良さが時代を超えて受け入れられる「普遍的な」クラシックカーの一台ではないかと思う。
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赤提灯の店 [風景画]

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私は一歳の頃から十歳まで、脱サラして家業を継いだ父が借りた店の一角で暮らしていた。
戦争終結から十数年経て、町は戦災から復興し、活気に満ちていた。
向かいの大衆食堂は通りで一番賑わっており、コックやウエートレス以外に出前のコック見習いが数人いた。食堂の店先の空いたスペースで、靴磨き屋が営業したり、傷痍軍人らがハーモニカやアコーデオンを演奏して生活費を稼いでも、オーナーは寛大だった。当時は通りごとに商店が結束しており、私の家と向かいの食堂はお互い角にあるので、二つの商店街に属していた。
商店街には遊び仲間や姉弟の友達がおり、お互いの店を行き来していた。大衆食堂には子供がいなかったが、オープンキッチンやソフトクリーム製造機やテレビを見るのが楽しかった。
同じ通りにあって、子供には近寄りがたい店が一軒あった。昼間でも薄暗く、夜になると店先に赤提灯を提げていた。母や姉からは汚い店と評価され、縁がなかった。
私が小学6年の時に父が病死し、父の末弟が私たち姉弟を不憫に思って色々なところに連れていってくれた。
ある夜、ついに赤ちょうちんの店に入った。店内は居酒屋の趣だが、食事がメインの店だった。
近くの市場の中の「関東煮屋」のおでんと違い、この店のおでんは鍋の中央に甘辛い味噌ダレをいれた容器があった。客は自分で串にさした種を好みで味噌ダレに漬けて皿に載せ、自分の席で食した。初めて口にする味噌おでんのおいしさは格別で、弟が食べかけの蒟蒻をタレに漬けようとして店主があわてて止めた。

私が亡き父と同じように脱サラして帰郷したとき、懐かしの商店街は寂れ、赤提灯の店は駐車場になっていた。
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篠栗、南蔵院の釈迦涅槃像 [風景画]

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 ここ一ヶ月まともに休みがない。11月12日は半月ぶりに休めると期待したが、仕事で福岡に出張することになった。仕事が終わったらプライベートタイムを楽しむつもりでバイクで出かけた。
 午後二時に任務を果たし帰路、篠栗の「南蔵院」を目指した。スマホのアプリで見当はつけていたが、脇道に入ると道に迷ってしまった。畑に居た妙齢の婦人に南蔵院を尋ねると「この先、ちょっと行って大きな坂を左に登った所ですよ。お参りしてらっしゃい。」と漠然とした答が返ってきた。
 さらに迷いそうなので一旦国道に戻り、流れに乗って走っていると、前方に筑豊ナンバーのスズキ400カタナを発見。
 信号停止したおりに、横付けして「南蔵院はまだ先ですかね?」と声をかけると、道案内してくれると言う。フルフェイスのヘルメットを被っていたが、おそらく20代と思われる正統派ライダーの若者は国道210号八木山バイパスを外れて旧道に入り「南蔵院」の駐車場の入山口まで先導した。
 「この階段を登ったところですよ。」「バイパスを降りて帰りが遅くなってしまって、すみません。」「いいですよ。」一期一会のライダーの親切がありがたい。
 
 篠栗の南蔵院は高野山真言宗の寺院で、境内にある全長41m、高さ11mの釈迦涅槃像はブロンズ製では世界最大らしい。山の階段を登る途中にお堂があり、案内係の女性が控えていたので入山料を払おうとすると、無料だった。お賽銭をお供えして、さらに階段を登りつめると視界が開け、広場に巨大な涅槃像があった。海外からも参詣者が大勢集まっていた。
 涅槃像をゆっくり鑑賞できるように、屋根付ベンチ付の長い休憩室が像と平行して建てられていたので、楽な姿勢でスケッチをすることができた。二時間ほど下絵を描き、着彩にかかったところで5時になり、休憩室を閉じるというので絵を切り上げ、受付所で土産のお守りを求めて家路に着いた。
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娘の初産 [人物画]

 7月末から里帰りしていた娘が、8月に予定日を一週間過ぎて女の子を出産した。陣痛促進剤を処置したあと、難産で赤子の命を守るため、緊急帝王切開手術となったが、母子ともに無事で何よりだった。
 42日間、元気な赤ん坊を囲んで、妻、娘の四人で賑やかに暮らすことが出来たが、今月初め、婿が迎えに来て、お宮参りを済ませると名古屋へ帰って行った。
 孫娘は生まれた時から目がぱっちりの色白美人で、生後二週頃にスケッチをした時は手足が細くうりざね顔だった。
 娘は毎日、ラインで動画や写真を私たち夫婦に送って来るのだが、孫娘の生後2ヶ月検診で、体重が1.7倍に増え5.2キロとなり、頬は膨らみ、2重顎でオムスビ顔となっていた。
 来年、会うのが今から楽しみだ。
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行橋の蓑島と北九州空港連絡橋 [風景画]

9月13日金曜日、一年半ぶりの健康診断を予約していた。人気の総合病院でキャンセル待ちでやっと検査の日を迎えた。朝8時すぎに病院に入ったが、すでに受付を済ませた人でいっぱいだった。検査のクライマックスの胃カメラはいつも鼻経由を選び、モニターに移る自分の食堂や胃の内部をリアルタイムで見るのが楽しみなのだが、今回は「驚異の人体」劇場を観ることができなかった。
消化器内視鏡専門医は私の検査中「なんで見えないんだ!」とぶつぶつ呟き、内視鏡にレンズの洗浄液?を注入しまくった。モニターの画像は偶にピントがあってもすぐにピンボケ状態になった。
40代とおぼしき男性医師は「(レンズに)何がくっ付いてんだ!」とさらに洗浄液を注入した。レンズの所為ではないのは素人でも明らかだった。洗浄液で胃が張り、胃壁にカメラがぶつかる度に胃に穴があくのではと不安になった。私がモニターを見ているので、検査を終わらせにくいのではと危惧していると、おもむろに内視鏡が抜かれ検査終了となった。私が検査室を出るとき、看護士が「次の方から内視鏡検査は三十分待ちになります。」と予備室で鼻の穴に透明の管をつっこまれて順番を待っている人々に声をかけていた。内視鏡検査台は二台のうち一台しか使えなくなったようだ。
検査の最後に内科医の触診と診断結果の説明があるのだが、結果は良好だった。
健康診断のおまけの食事券で、病院のビュッフェで昼食を済ませると、バイクで来ていたのでそのまま日帰りツーリングに向った。
周防灘に面した行橋(ゆくはし)市蓑島の干潟からの景色を描いた後、豊津町の豊前国分寺跡の三重塔を見物して6PMに家に帰り着いた。
行橋、蓑島と北九州空港連絡橋.jpg
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阿蘇カルデラの阿弥陀籤 [風景画]

私の夏季休暇は一日だけだ。昨日の貴重な休日は仕事のしがらみから離れツーリングに出かけることにした。家を出る時、妻から塩飴を一袋渡されたが、タンクバッグが嵩張るので、袋を破って四個をジャケットのポケットに入れ、残りを妻に返した。
土曜日で車が多かったが、アフリカツインは快調で、三時間ほどで阿蘇に着いた。
南阿蘇まで足を伸ばすつもりで走っていたが、小国から外輪山を下る途中で、目に入った風景がすばらしく、バイクをパーキングエリアに停めた。定番の大観峰から見た景色とは違った阿蘇の姿を描くことにした。まだお昼を済ましていなかったのと、飲み物を買ってなかったことを後悔しながら、炎天下、三時間、スケッチに没頭した。僅かな塩飴が熱中症予防に役立った。
帰路、杖立温泉前のロードサイド店に立ち寄り、熊本の土産など求めたが、水分補給のために買ったカップ入りのカットメロンをその場でまたたく間にたいらげた。
ノンストップで帰るつもりなので、トイレに行かないで済むように飲み物は我慢した。
7時半に帰宅。良く冷えたビールが最高においしかった。一日の走行距離290km
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ホンダ GL1000ゴールドウイング1975年式 [バイクの絵]


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久々にバイクの絵を描いて気付いたのだが、少し老眼が来ているようで細かい線が見えにくくなった。
日常生活に支障は無いが、1/24のミニカーを描くのが難しくなった。

私は中学生の頃からテレビの見すぎで軽い近視になった。高3で運転免許の路上試験のためにハードコンタクトを作ったが体質に合わなかったので、免許取得後はほとんど使わなかった。
社会人になり、仕事で遠くのモニター画面を見る必要があり、初めて眼鏡を作った。
ソフトコンタクトが出回りはじめると気に入って3年ほど使ったが、レンズを毎日煮沸するのが面倒で眼鏡に戻った。
四十代の頃、物を書く際に眼鏡が無いほうが見やすくなり、遠視度がゼロの遠近両用眼鏡に変えた。
眼鏡を外すことが多くなると、落としたり他人に踏まれたりして、眼鏡を新調することが増え、思い切って眼鏡をやめた。
運転免許更新時の視力検査も毎回、裸眼でパスし、眼鏡から完全に開放された生活が続いている。
少々不自由があっても老眼鏡は使いたくない。
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興国寺に三度詣で(福岡県田川郡福智町上野1892) [風景画]

偶々訪れた興国寺が気になり、絵に描こうと先月21日にバイクで再訪した。
いつも使っているB6Eサイズのスケッチ帳では納まりそうもないので、その約3倍のG4のスケッチ帳を
用意したのだが、限られた時間では下絵すら仕上げることも出来なかった。
それでも絵を描くあいだ、時が止まったような空間に自分自身が溶け込むようで癒された。
私以外の来訪者は急ぎ足で観光していた中年ライダー一人だけだった。
下絵に色を付けていると、そばでシャム猫が私の様子を不思議そうに見ていた。寺で飼っている猫が、長時間同じ場所にいる闖入者が気になって様子を見に来たのだろう。

今月4日、絵を仕上げようと興国寺を再び訪れた。着彩中、高齢の女性三人連れが、宝物に出会ったように、寺の佇まいに感激しながら参拝していた。
ここ興国寺はもっと知られるべきだと思った。

※興国寺
上野(アガノ)焼で有名な田川郡福智町の上野地区に7世紀後半に無隠元晦禅師が開山した寺。
足利尊氏が戦に破れて九州に落ち延びた際、この寺に匿われ、再起の出発点となったことから、
室町幕府の発足後、全国66ヶ所に建立された安国寺の第一位に指定された。
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福智山ろく花公園 [風景画]

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大型連休が終わりほっとしている。
私の場合、二連休が年に二度あればいいほうで、三連休など数年に一度、年末年始に取れるかどうかで、こたびの十連休の過ごし方など想像もできない。
連休で売り上げが増えるなら休みがなくても働き甲斐があるのだが、観光に将来を委ねる当地では終日車が渋滞しても耐久消費財を求める客は少なく、メーカーと運送業者の長期休業で業務が滞り、連休明けのフォローが大変だ。

5月2日、休暇をとって14連休を満喫している妻と私のオフが重なったので、一緒に出かけることにした。
人の多そうな所は避けて、都市高速で行けば小一時間ほどで着く「福智山ろく花公園」に向かった。入園料の300円は地味な内容に相応しく、30分で園内を一周したあとスケッチを楽しんだ。絵に飽きて公園を出たが、まだ日が高いので、スマホで付近の見所を検索し、「白糸の滝」「興国寺」「上野焼(アガノヤキ)の窯元」を訪ねた。質素ながら充実した休日となった。
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