時の過ぎ行くままに。 [風景画]
私が一歳の時から九歳までお世話になった「旭湯」。十数年前に取り壊され、今は和菓子店が建っている。
もしも旭湯が保存されていたら、きっと門司のレトロ観光の名所となっていたに違いない。
旭湯の創業者、木下亀市(故人)は大工の棟梁で建設会社を経営していた。昭和10年、銭湯を創めるに際し、北海道から沖縄まで銭湯巡りをしてアイデアを練った。完成した銭湯は木造ながらも外観をスクラッチタイルで覆ったモダンな洋風建物だった。大工の棟梁だけに、建築材料には拘りがあったようで、床は桜材、浴室の床や浴槽は御影石、壁面は大理石張りで、番台は自ら手がけた。楕円形の大浴槽と二種類の薬湯を楽しめる小浴槽を二つ、男湯と女湯それぞれに配置した。今のスーパー銭湯の元祖ともいえよう。門司港は日本と大陸を繋ぐ国際港であり関門海峡は交通の要衝だったので、太平洋戦争時、アメリカ軍から度々激しい空襲を受けた。
その戦火を潜り抜けた貴重な銭湯が消えてしまったことが残念だ。
2017-05-31 01:33
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コメント(2)
読ましていただいて、以前行った東京都小金井市にある江戸東京たてもの園の中に保存されていた銭湯の建物のことを思い出した。
旭湯も昭和初期の雰囲気をもったかなり貴重な建物だった様子。
絵を見せていただき、そこに明治以降日本の産業を支えた小倉の町の活気が感じ、こうした建物、町の文化遺産として何故残そうとしなかったのだろうかと、大変残念に思いました。
by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2017-06-15 17:23)
老年蛇銘多親父さん、こんばんは。
旭湯に私は一歳から小学五年生まで世話になりました。
昔はおおらかだったのか、小学低学年までは番台の前の仕切りドアを通って男湯や女湯を子供が行き来しても咎められませんでした。女湯で同じクラスの女子と裸同士で目が合った時、嫌な顔をされた記憶があるのですが、女子の方が性を意識し始めるのが早かったのでしょうね。
by yuzman1953 (2017-06-23 00:29)