SSブログ

四国ツーリングの思い出 29 [バイクの絵]

 河口の次は展望台に上がった。霞がかった上流に向かって伸びる四万十川の雄大な景色を、小高い丘から暫し眺めた。あの遥か彼方の源流から、数百キロも川に沿って降りて来て、今この河口に立っている。一つの目標を達成した喜びが胸にこみ上げてきた。
 今回のツーリングの計画はここまでで完了したが、あとの事は考えてなかった。「さぁこれからどうする。もう帰るか。」頭の中で帰りのコースと走行距離、所要時間を計算した。
 最短のコースをとったとしても、家に帰り着くのは夜中の2時くらいになりそうだ。お昼ごろ妻に電話をした時、今日中に帰れるかもしれないと話していた。だが四万十の流れのようにゆったりと時間をかけてツーリングを楽しんできたせいか、時間に追われて走る気にならない。予定より一日早く帰って出費を節約できても、残り一日の休暇を何に使うだろう。せっかく四国まで来たからにはのんびり過ごしたい。今はよく冷えたビールを飲みたい。ゆっくり風呂にも入りたい。
 ツーリングマップルを取り出して、足摺岬にある「ユースホステルあしずり」と「国民宿舎足摺グリーンハウス」の電話番号を調べて控えた。来た道を戻る途中に公衆電話を見つけ、最初に国民宿舎に電話をかけた。
 どうせ今晩の予約はとれないだろうと思っていたら簡単にとれた。
ホンダNS500ランディ・マモラ1984.jpg

四国ツーリングの思い出 28 [バイクの絵]

 市街を過ぎると再び鄙びた景色になった。喉が渇いたので自販機でアクエリアスを買って水分を補給した。さらに走っていくと、正面に海が見えた。道が堤防に突き当たると、左に矢印があり、展望台へと案内していたが、右は行き止まりのようで何も標示されてない。河口を見たいので右折して堤防に沿ってバイクを走らせた。
 50メートルくらい走ったところで堤防が切れ、目の前に四万十川の河口が広がった。河口とは思えない雄大な景色だ。ここから右岸までの距離は関門海峡の数倍はあるだろう。昨日の台風の影響からか、高波が川の流れを押し返すように河口に押し寄せていた。太平洋から四万十川に押し寄せる大波を狙って、若者が六人でサーフィンを楽しんでいる。それを眺めていた初老の男性と話をした。
 「こないだの台風で砂が流されてしもうた。前はちゃんとした浜やったのに。」と寂しそうに言った。
 消波ブロックが河口の真ん中に無秩序に積み上げられていた。岸壁に県の土木関係のお偉方がひとかたまりになって、測量をしたり話し込んだりしていた。
 四万十の河口に、これ以上人の手を加えるなと言わんばかりに、壊れた浜は自然の力をまざまざと見せつけていた。
ホンダNS500フレディ・スペンサー.jpg

四国ツーリングの思い出 27 [バイクの絵]

 四万十川の河口のある下田町までの経路は概ね頭の中に入っていたのだが、道路工事の為に一方通行になっている部分があり、交通整理のガードマンの誘導で迂回路を通るうちに商店街のアーケードに迷い込んでしまった。
 アーケードの入口にバイクを停めて、ヘルメットとグローブを外して一息ついた。
 道を確かめるために銀天街を散策し、ついでに青海苔を売っている店を探した。土産店は数件あったが、青海苔を置いてないのは意外だった。コンビニから出てきた初老の男性に下田への道を尋ね、ついでに四万十川の青海苔を売っているところを聞いた。下田の手前に青海苔工場があるが、今は直販してない、中村駅に行けば買えるだろうと駅までの道を親切に教えてくれた。男性には悪いが、道がややこしかったので、先を急ぐことにした。河口まであと少しだった。
 市街の交通渋滞につかまっていると、後ろからレブルに乗った60代の男性が車のあいだをすり抜けながら私の横に停まった。「足が(しっかり)着くかね。」「着きませんよ。オフロードはシートが高いからこんなもんです。走ってれば倒れることはないです。」「わしの友達がこれとおんなじバイクに乗っとる。こないだ北海道まで行った。」「北海道はいいですよね。」
 男は自分が行ってきたように話すと満足して渋滞を縫って視界から消えていった。
 ベスパ50.jpg

四国ツーリングの思い出 26 [バイクの絵]

 川幅が広くなるにつれ、「よみがえらそう四万十川」の標語を掲げた橋がところどころ目につくようになった。川の汚染が進んでいるのだろうが、人が便利に暮らそうとする限り自然との共生は難しいだろう。
 お昼に食べ損なった鮎の塩焼きが、今頃になってあちこちのドライブインの幟で宣伝されていた。お腹が満たされていたので、夕食に食べようと思った。
 「四万十川下り」と看板に書いた船小屋がいくつか見えた。通り過ぎたあとで、気になったので戻った。1時間2000円で川下りが楽しめるようで、旅の想い出にどうかなと思ったが、川下りの舟を見て興ざめした。熊本の球磨川の急流下りの舟を想像していたら、お座敷のある屋形舟だった。
 バイクを止めては、景色を撮ったり、沈下橋を歩いて渡ったり、のんびり、スローペースのツーリングだが、やがて中村市に入った。山に囲まれた絶景の主役は、ゆったりと流れる四万十川で、どこまでも続くようだった。このまま河口まで並走したかったので、通ってきた441号線は左に折れてバイパスに繋がるところを、私は直進して県道340号を走った。道幅が半分になったので対向車に要注意だ。
 中村市街に入ると、川の屋形舟がやたらと増えた。そうして四万十川が町並みに隠れるようになり、中村市の中心部が近いことを知った。
ファットボブ_2.jpg

四国ツーリングの思い出 25 [バイクの絵]

 道の駅の食堂に入ってジャケットを脱ぎ、セルフサービスのお冷を飲んだ。まさに砂漠にオアシスの感だ。
 渇きを癒したあとは食べ物だ。食堂のおばさんに声をかけた。
 「鮎料理はありますか。」
 「鮎はお土産用の冷凍しかないんです。」
 食堂のメニューを見ると、うどんとおにぎりしかなかった。ツーリングマップルにここのお薦めは「たっぷり山菜の山菜うどんセット」とあったのを思い出し、それを注文した。
 山菜うどんとご飯、沢庵、野菜の天ぷら少々、のメニューで650円だ。味は悪くなかったが「どこがたっぷり山菜だよ」と突っ込みたかった。テレビで高校野球の決勝戦を中継しており、高知の高校が出ていた。食堂の客の中に熱くなって応援している人々は地元の人なのだろう。私はゆっくり観戦している時間はなかった。
 道の駅・四万十大正には四万十川で採れた青海苔や佃煮が豊富に売られていた。私がこの旅に出るとき、妻に四万十川の青海苔の佃煮をお土産としてリクエストされていた。
 売店にあった佃煮の瓶のラベルを見ると、製造会社は中村市にあった。
 四万十川の河口に工場があるなら、荷物になることだし今ここで買う必要はない、と思いお土産は買わなかった。
 これが後々後悔することになろうとは思いもしなかった。
デルビ125ツイン 1971.jpg

四国ツーリングの思い出 24 [バイクの絵]

 国道381号線、通称「土佐街道」は四万十川の流れに沿って宇和島市の方角へ向かっていた。お昼を少し回った頃、「道の駅・四万十大正」に着いた。建物の入口近くは、満車状態の混みようだったがバイクは駐車場所に困らなくていい。駐車場と建物の境界が植栽した遊歩道になっていて、木と木のあいだにバイクを停めるスペースを見つけた。 バイクを停車し、右足を地につけようとしたところ、足がとどかない。10センチ四方の石を敷き詰めた場所に停車したのだが、右側の木の近くは地面がむき出しで、おまけに凹んでいた。
 バイクは右側に倒れ掛かったが、私はとっさにバイクの右側に降りて230キロ以上の重さに耐えた。
 エンジンがかかった状態で右手でスロットルを握っていたので、手首の動きに連動してエンジンが大きく唸った。
 背後の工事車輌の中で弁当を食べていた4人が、箸を止め、窓から首を出してこちらの様子を窺っていた。
 バイクが立ち直ったところでエンジンを切り、手を反対側にのばしてサイドスタンドを起こして、やっと重圧から開放された。「ふぅー。」バイクを今朝のように倒さないでよかった。混雑した道の駅で、やたらと目立ったデビューだった。
スズキRGB500マルコ・ルッキネリ1981.jpg


四国ツーリングの思い出 23 [バイクの絵]

 林道の入口まで戻ると、先ほどの二人の警備員が私を睨んだ。おそらく彼女らの仕事は切り出した原木を運ぶダンプが戻ってきた時に、よそ者が林道にいると履行できないので、それを知らせるために立っているのだろう。
 午前10時に「四万十源流の家」に到着した。昨夜のクロークに挨拶した。 「昨夜はどうされました。」と聞くので
事の次第を話すと、「よかったですね。」と喜んでくれた。「温泉に入れますか。泊まれなかったけど温泉だけでも入って帰りたいので。」と申し出ると、クロークは気の毒そうに答えた。「すみません。温泉は11時からなんです。一時間ほど待っていただけますか。」 つくづくこの宿には縁がないようだ。建物の前で記念の写真を摂ってすぐに発った。
 少し走ったところで「久万秋の湧水」の立札が目に入ったので、バイクを降りた。湧水で顔を冷やしたあと、飲んでみたら美味しかった。朝買ったアクエリアスを飲み干して湧水を詰めた。出来れば飲まずに持って帰って、妻や子供たちに飲ませてやろうと思った。
 昨晩泊まった槙野々を通り過ぎて30分ほど走ると、四万十川は豊かな河に変貌していた。
 水かさが増すと水没して橋の流出を防ぐように工夫した「沈下橋」にいくつもお目にかかった。お昼は鮎料理にしょうかと思いながらバイクを走らせた。
スズキRG500 1977.jpg

四国ツーリングの思い出 22 [バイクの絵]

 だんだん川幅は狭く、流れは急になっていく四万十川を左に見ながら走っていると、繁みの中にスクラップになった車を見つけた。ひと気のないのをいいことに、森の奥深くに車を棄てたのだろう。「日本最後の清流、四万十川」のイメージが壊れた。廃棄された車を2台確認した。源流近くに車を棄てた人の悪意を感じる。雨が荒れ果てた車のエンジンルームや車内を伝って油や有害物質と一緒に四万十川源流の一部となって流れていく。考えると憂鬱になるが、四万十川の源流はここだけではないし、他は汚されていないことを祈った。
 暫く走ると森が途切れて視界が開けた。四万十川はただの長い窪みとなっていた。水も流れていない。
 道のない急傾斜の草原を行けるところまで登った。傾斜角度がさらにきつくなって30度を優に超えているあたりでバイクを降りた。そこから4WDのタイヤ跡が坂を50メートルぐらい登ったところで切れていた。
 「四万十川源流の碑」まで、あとは徒歩で行くしかないようだ。
 バイクをロックし、山登りを始めてすぐにプロテクターが付いた長袖ジャケットとズボンが汗で濡れて身体にへばりついた。頭の回りでは、人恋しいのか蜂が飛び回っていた。これ以上登山を続けようという気がしなくなったので、記念写真を摂り、そこを四万十川に沿って太平洋までのツーリングの起点とした。
カワサキ ZX-RR 2003.jpg

四国ツーリングの思い出 21 [バイクの絵]

 狭い県道19号線をくねくねと走っているうちに、原木を満載したトラックと出合った。履行できないので、停車して道を譲った。仕事の邪魔をしてはいけないと思ったが、トラックはそうするのが当然のように通り過ぎた。
 道は197号線に繋がった。左折-道の駅ゆすはら-1.2kmと看板が出ていた。昨晩走ったときは遠く感じたが、意外と近かったのだ。地図で確かめていたとおり、197号線を右折するとすぐにトンネルが見えた。四万十川源流に行くにはトンネルの手前左側の林道に入らなければならない。林道入り口に若い女性警備員が二人立っていた。ヘルメットの下は茶髪のようで、高校生が夏休みのアルバイトをしている風だった。部外者を警戒するような目でこちらを見ていたが、構わずに二人の脇をすり抜けて林道に入った。車一台がやっと通れる林道の左側は崖で、その下に幅が3メートルくらいの四万十川が流れていた。北九州市にある「菅生の滝」に行く道中に似た光景だ。
 鬱蒼とした薄暗い森の中を轍にハンドルを取られないように気をつけながらバイクを走らせた。
カジバ900エレファント_2.jpg

四国ツーリングの思い出 20 [バイクの絵]

 アフリカツインを走らせながら、今日のスケジュールを考えた。最初に四万十川源流を探索して、そのあと昨晩泊まれなかった「源流の家」で温泉に入ろう、それから…。
 前方に食料品店が見えた。簡単な朝食を摂ろうと思い、バイクを店先に停めて中に入った。
 パンを物色したがあまり種類がない。お年寄り向きの品揃えだ。ジャムパンとカステラパン、牛乳1リットルパックを求めた。レジで支払いをしながら、「外のベンチで食べて行ってもいいですか?」と訊ねた。 
 「店の中の椅子でどうぞ。」外はすでに陽射が強くなっていたので、レジのおばさんの好意に甘えた。
 食べ終えてから、水筒代わりにアクエリアスの500mlペットボトルを買った。レジはいつのまにかおばあさんに変わっていた。
 再び走り始めた。昨夜通ったときは漆黒の世界だった四万十川沿いの道は、白日のもとではすばらしい景色の中にあった。バイクは快調で、風と光が心地よかった。
yamaha rd05a 250.jpg

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。