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CB72下絵 [バイクの絵]

仕事に振り回されてゆっくり絵を描く時間がありません。マイブログが広告を貼り付けら放題なので、下絵だけでも投稿することにしました。製作過程を見ていただけたらと思います。

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ハーレーFLHTCエレクトラグライドクラシック1980年式 [バイクの絵]

アメリカンよりはオフロードやロードスポーツが好きなのだが、例外的にハーレーには憧れる。風格と歴史を感じる唯一のバイクだ。いつかチャンスがあれば゙乗ってみたい。
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白馬のようなDT1 [バイクの絵]

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私が高2の夏休みの頃のことだ。家で寛いでいると、突然耳をつんざくようなエンジン音が鳴り響いた。
小高い丘に家が立ち並ぶ古い住宅街の、頂上へと続く数百段の石段の上り口に私の家があった。
何が起きたのかと窓に駆け寄り外を見ると、白いバイクが跳ねながら階段を駆け上がっていった。
翌日大阪ナンバーの白いDT1が上り口の路上に停めてあった。DT1のライダーはツーリングがてら九州の親戚を訪ねてきたようだが、花月園の階段をバイクでのぼった最初で最後の記録を残して去っていった。

DT1データ
1967年、第14回東京モーターショーにてデビュー。精悍なアップマフラー、大径のブロックタイヤ、水滴型のタンク、コンパクトな246cc単気筒2サイクル5ポートエンジン等々話題を集めた。
最高出力18.5馬力/6000回転、最高速度120km/h、5段変速、車重109kg、タイヤ前3.25-19-4PR後4.00-18-4PR
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スズキRM250 [バイクの絵]

 私のバイクデビューは高1の夏だった。叔母のダンナが中古の原チャリを譲ってくれたのを、無免許で乗り回した。クラッチのあるバイクだったが、中学の頃からトラックの運転を覚えていたので、すぐに乗りこなせた。
 まるで自転車に乗るような気軽さで、バイクに興味を持つ同級生たちにもバイクの面白さを広めた。
 しかし、ある日法の裁きを受ける日が来た。
 ライトが切れて無灯火のバイクの後ろに、二つ年下の弟を乗せて、夜の町を静かに流していたとき、パトカーと遭遇して捕まってしまった。当時、未成年者に罰金はなかったが、家庭裁判所に出頭しなければならなかった。
 私は、一応、地元の進学校に通っていたのだが、バイクの免許をとる不届き者はいないと思ってたのかどうか、高校は免許取得が禁止されてなかった。16歳になったこともあり、学校をさぼって原付の免許を取りに行った。
 無免許運転の後始末で、後日家裁に呼ばれたとき、堂々と自分のバイクに乗って行った。
 さんざん説教されたあとで、裁判官に今日はどうやって来たのか聞かれたので、免許を取得したのでバイクに乗ってきたと誇らしげに答えた。「そんなばかな。取れるわけがない。免許証を見せなさい。」
 真新しい免許証を手にすると、裁判官は真っ赤に怒って、どこかに電話をかけた。おそらく免許試験場だったのだろう。受話器の向こうの人間を激しく叱責していた。私の免許は取り上げられなかったが、高1の3学期に自動二輪の免許を取得しようと、運転免許試験場に望んだ時、訳もなく何度も落とされ、5回目のチャレンジで、やっと合格することができた。きっとそれが無免許運転の代償だったのだろう。
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ヤマハYZR500ウェイン・レイニー 1991年 [バイクの絵]

名古屋に暮らす長男は、最近、浜松に出張することが多いという。彼も私に劣らずバイク好きで、ゼルビス、CBR600R、XR230を乗り継いできたが、今は幼い二人の子供と愛妻のために、バイクを降りている。それでも、バイクへの思いが絶ちがたいようで、浜松に行ったおりには、ヤマハのバイクミュージアムを堪能しているようだ。一度も行ったことがない私は息子が羨ましい。
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四国ツーリングの思い出 34 [バイクの絵]

 荷物の整理をして早めに床についた。ほろ酔いと軽い疲労感からすぐに眠りについた。夜中にふと目覚めて窓の外を眺めた。夢の中のような美しい光景が広がっていた。月夜に照らし出された穏やかな黒鉄色の大海原。温かいオレンジ色の明かりを窓から放ちながら、カタツムリのように静かに洋上を滑るフェリー。窓を開けて、幻想的なジオラマのような世界を堪能したあと、ふたたび熟睡した。
 空が白んできたので起きると時計は6時をまわっていた。
 爽やかな目覚めだった。今なら足摺岬から日の出を拝めると思ったが、宿代を踏み倒すつもりではと思われそうなので、外出は諦めた。日課の気功体操を終えてから荷物の整理をした。7時からの朝食が待ち遠しかった。食事を終えたらすぐに出発できるように宿泊代の支払いを済ませておこうと、フロントへ行ったが皆で朝食の準備をしているらしく誰もいない。
 7時になって食堂へ入ると、既にあちこちのテーブルで食事をしていた。自分の席に着くとすぐに料理が運ばれてきた。新聞販売店の親父が話しかけてきた。「どちらからです。」「北九州です。」福岡県人同士で気安かった。今日は石鎚山に行くのでハードな一日になると嬉しそうに話していた。
 食事を平らげ自分の部屋に戻って身支度を整えた。フロントに降りると今度は主人が待機していた。まだ計算が出来ていないようで、少し待たされた。「お気をつけていってらっしゃい。」「御世話になりました。」
 玄関から出ると、朝の空気が清々しい。アフリカツインに荷物を積み込み、新たな一日のスタートに胸が高鳴った。
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四国ツーリングの思い出 33 [バイクの絵]

 6時になったので食堂に入った。細長い和室の広間で、部屋ごとにテーブルが決まっており、8卓が通路を挟んで整然と並んでいた。卓上にはすでにご馳走が用意されていた。自分の席に着くと配膳係りがお櫃とお吸い物を運んできた。ビールを注文した。中瓶で600円で、ロビーの自販機なら400円ですむ。参考までに配膳係りに缶ビールを持ち込んでもよいか尋ねると大丈夫だった。ビールが来た。瓶入りのビールは久しぶりだ。特別料理の鰹のたたきが揃ったところで食事を始めた。
 料理とビールに舌鼓を打っていると、八王子氏が私の後ろのテーブルに背中合わせに座った。ビールをどうしようか迷っている様子なので、缶ビールの持ち込みは構わないそうですと教えてあげた。彼は安心してロビーで缶ビールを買ってきた。ひと心地ついたころ、お互い上半身を捻って食事をしながら談笑した。彼は一週間の夏季休暇中で、昨日フェリーで四国入りしたと言う。明日は九州に上陸するが、私が北九州から来たことを話すとお薦めの場所がないか聞いてきた。仕事で福岡市に行ったことはあるが、バイクでは初めての九州とのこと。毎年5月の連休は北海道へツーリングに行っていると羨ましいことを言う。ほろ酔い加減になって、バイク事故の話から傷の見せ合いになった。彼の太腿の傷はひどかった。学生の時バイクで転倒し、痛いのを我慢して帰宅したが、傷がカルビ状態になっているのを家人が見てあわてて病院に連れて行き、20針ほど縫ったらしい。
 周りのテーブルもみんな楽しそうだ。私の正面は車で到着した家族連れで、50代の夫婦と二人の娘さんが卓を囲んでいた。お父さんは下戸なのかアルコールを口にしていなかった。食事を済ませるとさっさと部屋へ引き上げて行った。通路の向こう側のテーブルの若いカップルはまだ学生のようだ。その後ろ側は新聞販売店の二人だ。八王子氏の後ろは最後に到着したオフロード車に乗る20代の男で、寡黙に食事をしていた。食べ終わった人は次々と席を立ち、そのあと配膳係りが片付けていった。八王子氏と私はのんびりしすぎたことに焦り、食事に集中した。私はどうにか平らげると、調理場に料理がおいしかったと声をかけて部屋に戻った。
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四国ツーリングの思い出 32 [バイクの絵]

 そろそろ5時になるので風呂へ向かった。浴室は12帖くらいの広さで、浴槽が四分の一を占め、洗い場は8人分設けてあった。大浴場ではないが、掃除が行き届き清潔だった。汗と埃にまみれた身体をきれいに洗ってから湯船に浸かった。からだの芯まで暖まり、癒されていくのがわかった。一番風呂でお湯を汚さないように気をつけていたが、ふと気がつくと垢のようなゴミがあちこちに浮いている。どうやら風呂は循環式になっているようで、さきほど身体を洗い流したお湯がよく濾過されずに給湯口から湯船に注がれたのだろう。後に入ってくる人のためにせっせとゴミを掬い出した。
 心身ともにリフレッシュして風呂からあがるとロビーの自販機の前に立っていた。500ミリリットルの缶ビールを一気に飲んだ。最高においしかった。
 先ほどの男が風呂に行くようだ。ロビーの公衆電話で自宅に電話するが、妻はまだ帰ってなかった。玄関が騒々しくなり、三番目に到着したのは60代と10代とおぼしき二人組のライダーだった。初老の男はハーレーのポリスタイプに乗るようないでたちで、大きな旅行鞄を2つ持ち、若い男は鞄のほかに三脚やビデオカメラを持っていた。二人とも頭から湯気がでているように赤い顔をして暑そうだった。ここに辿りつくまでさんざん道に迷ったと愚痴をこぼしていた。
 外の空気を吸うついでに、皆のバイクを見せてもらった。二番目に到着した男は八王子ナンバーのSL230、初老の男は久留米ナンバーのスカイウエーブ、その連れは50のカブだった。新聞販売店の経営者が従業員をツーリングに誘いだしたというところだろうか。
 ロビーに戻り、何度か妻に電話しているとやっと通じた。今いる場所と今後のスケジュールを話した。
 八王子ナンバーの男が入浴をすませて、ロビーで500の缶ビールを飲みながら、食事の時間を待っていた。
 話しかけると結構おしゃべりで、バイクの話ではずんだ。
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四国ツーリングの思い出 31 [バイクの絵]

 駐車場が遠いので、バイクを宿の玄関脇に停めた。中に入って、受付の呼び鈴を鳴らすと、少し間を置いて60代の女性が奥から出てきた。宿帳に記帳しながら、外の暑さが厳しいことなど話した。
 「バイクに乗ってる人はみんな真っ赤な顔をして到着してきますよ。お風呂は五時から入れます。食事は六時からです。」
 部屋の鍵を受け取って二階の205号室に向かった。どうやら自分が一番乗りのようだ。
 部屋は六畳くらいの広さで、窓からは太平洋がよく見渡せた。汗で濡れた服を脱ぎ、備え付けのお茶を飲んで一息ついた。部屋にあるサービス案内を読むと、特別料理の鰹のたたきが目に入った。1000円で要予約とある。昼の鮎のりベンジだ。ロビーに降りて特別料理を予約した。お風呂の時間までまだ間があったので、ロビーのソファーに座って雑誌を読んでいるとバイクが一台到着して若い男が入ってきた。
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四国ツーリングの思い出 30 [バイクの絵]

 アフリカツインを走らせながら、今後の予定を練った。国民宿舎といえば、門司の和布刈山荘のイメージだ。エレベーター付鉄筋5回建て、大浴場、展望レストラン、ゲームコーナー、土産売り場、…。私の急な予約をこころよく受けてくれたことに対して、宿の売店でお土産をたくさん買って謝意を示そう。
 国道321号線を左手に海を見ながら南下した。土佐清水市に入り、いよいよ宿が近くなった。前方にプライベートビーチのある5階建ての大きなホテルが見えた。グリーン何とかと建物の入口にサインがあった。ここだ。着いたぞ。ちょっとよそよそしい雰囲気が気になったが、駐車場にバイクを停め、ロビーに入った。フロントはおろかロビーには客もいない。レストランを覗くとウエートレスがいたので、ここが国民宿舎グリーンハウスか尋ねると、リゾートホテルだという。建物はりっぱでも陰気な感じだったので、寧ろ違ってほっとした。
 清水港を通過して、海ばかり見るのも飽きるので、山を縦断する足摺スカイラインを通り、岬を目指した。しばらく走ると「国民宿舎グリーンハウス」と道路脇に看板が出ていた。今度は間違いない。道が分岐して、舗装はされているが林道のような狭い道をくねくねと走った。本当にこの道でいいのかと不安になったとき、建物が見えた。
 こじんまりとした木造モルタルの二階家で、丘の茂みに隠れるようにひっそりと佇んでいた。名前のとおり緑に囲まれたグリーンハウスだ。空地のような駐車場には一台も車が停まっていなかった。
ホンダNSR500 ワイン・ガ^ドナー 1987.jpg

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