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赤提灯の店 [風景画]

すえみつ屋.jpg

私は一歳の頃から十歳まで、脱サラして家業を継いだ父が借りた店の一角で暮らしていた。
戦争終結から十数年経て、町は戦災から復興し、活気に満ちていた。
向かいの大衆食堂は通りで一番賑わっており、コックやウエートレス以外に出前のコック見習いが数人いた。食堂の店先の空いたスペースで、靴磨き屋が営業したり、傷痍軍人らがハーモニカやアコーデオンを演奏して生活費を稼いでも、オーナーは寛大だった。当時は通りごとに商店が結束しており、私の家と向かいの食堂はお互い角にあるので、二つの商店街に属していた。
商店街には遊び仲間や姉弟の友達がおり、お互いの店を行き来していた。大衆食堂には子供がいなかったが、オープンキッチンやソフトクリーム製造機やテレビを見るのが楽しかった。
同じ通りにあって、子供には近寄りがたい店が一軒あった。昼間でも薄暗く、夜になると店先に赤提灯を提げていた。母や姉からは汚い店と評価され、縁がなかった。
私が小学6年の時に父が病死し、父の末弟が私たち姉弟を不憫に思って色々なところに連れていってくれた。
ある夜、ついに赤ちょうちんの店に入った。店内は居酒屋の趣だが、食事がメインの店だった。
近くの市場の中の「関東煮屋」のおでんと違い、この店のおでんは鍋の中央に甘辛い味噌ダレをいれた容器があった。客は自分で串にさした種を好みで味噌ダレに漬けて皿に載せ、自分の席で食した。初めて口にする味噌おでんのおいしさは格別で、弟が食べかけの蒟蒻をタレに漬けようとして店主があわてて止めた。

私が亡き父と同じように脱サラして帰郷したとき、懐かしの商店街は寂れ、赤提灯の店は駐車場になっていた。
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