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陸奥記念館 [風景画]

陸奥記念館.jpg
6月7日、仕事がオフで天気は曇り、絶好のツーリング日和だ。
雑事をすませて10時20分にアフリカツインで家を出た。目的地は周防大島の陸奥記念館だ。
関門トンネルを抜け、下関市の長府で給油。この満タンで400キロ以上走れる。
国道2号はバイパス化が進んでいるので高速山陽道を走るより景色が楽しく、経済的なのがよい。お昼は大島町で海の幸を堪能するつもりで、ひたすら走った。徳山西の1車線で大渋滞になり、バイクならではの路側帯走りで時間を短縮。渋滞の原因は大型トレーラーが中型トラックの荷台に側面衝突したまま道路を塞いだことによる片側交互通行だった。
右に穏やかな瀬戸内海を眺め、ノンストップで走って、やっと大島大橋に辿り着き、目的地の屋代島に上陸した。しかし帰りの時間を考えると昼食どころではなかった。
午後2時20分、陸奥記念館に到着。
トイレ休憩をすませ慌ただしく館内を見学。シルバーの夫婦2組と男性一人が館内にいた。

戦艦陸奥は1921年に完成した当時は世界最高水準の性能で、連合艦隊の旗艦や天皇陛下の御召し艦として活躍した。1943年6月8日連合艦隊司令部付として周防大島町伊保田沖、柱島水道に警泊中、謎の大爆発を起こし沈没。総員1471名のうち、死者1121名の大惨事となった。
1970年遺族や生存者の20年越しの熱意が実り、8年間の作業の末、遺骨・遺品・主砲など船体の75%が引き揚げられた。

館内を一巡して来館記念の写真を撮ろうと一人旅の男性にカメラのシャッターをお願いすると、私もシャッターを頼まれた。
その男性は陸奥の遺族で、記念館に掲示されている遺影の一人を私に示して、自分の叔父だと言った。翌日に陸奥の慰霊祭があるので、青森から飛行機と電車を乗り継いで来たとのことだった。男性の亡くなった父親の代理で26年ぶりに慰霊祭に出席すると言う。陸奥記念館の所在地は山口県と広島県と愛媛県の県境あたりで、慰霊祭当日、遺族ら関係者は呉港から海上自衛隊の用意する船に乗って洋上で献花するらしい。その男性が漁師から聞いた話で、陸奥から300人以上の遺体が流れ着いた柱島の海岸に今でも荼毘に付した時の油が岩場に残っていると聞いて胸がいたんだ。
記念館を出て自販機でポカリスエットを買い、野外展示物のスケッチをした。
4時30分着彩するのを諦め、記念館に戻り、妻への土産を買った。
4時45分に帰途につき、少し急いで8時15分に無事帰宅した。
本日の走行距離390km。
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