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フォルクス・ワーゲン1200ダブルバンパー [車の絵]

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今週の日曜日の夕食後、胃がもたれ始めた。4AMにトイレで用をたす。一時間後またトイレ。今度は下痢。体温37.1度の微熱。胸やけがするが吐き気はない。7AM体温38.2度に上昇。7:50AM下痢。9AM水便。仕事を休めないので出社する。正午、水便。2:20PM水便。心配になり、かかりつけの内科胃腸科に行く。診断はノロウイルス。3日間断食するように。下痢はウイルスを排除しようとする身体の免疫反応によるものだから気にせず、下痢止めは使わないほうが良いとのこと。胸焼けを抑える注射をされ、3日分の整腸剤、吐き気止めの薬がだされた。会社に戻る前にポカリスエットの500mlボトルを5本買った。医者から一時間にコップ一杯のペースでの水分の補給をするように言われていた。会社に戻ってからも一時間ごとにトイレに駆け込んだ。帰宅してから布団に包まった。夜になっても食欲がなく、妻が摩り下ろしてくれた半個分の林檎で充分だった。トイレに行きたくなるので何も口にしたくなかったが、多量の水便は体液の流出によるものだから水分の補給が必要だとの医師の話を思い出し、ポカリスエットは飲み続けた。体温38.6度まで上昇。翌朝も体調は変わらなかったが仕事を休むわけには行かなかった。朝は昨日の残りの林檎を齧った。少し食欲が戻ったようで、遅いお昼に少し粥を食べた。水便は相変わらずだった。残業して、帰宅すると妻に「豚しゃぶ、うどん」の夕食を作ってもらった。発病3日目の水曜日は仕事が休みで食欲もほぼ回復し、朝はパン、昼は出石蕎麦を食した。家でゆっくり休養したせいか、3PMを過ぎるころ、下痢も治まったので外出した。久々に小倉の町を歩きまわり、デパートで孫の誕生日のプレゼントを買った。会社勤めの妻にメールを送り、仕事が終わった妻とチャチャタウンで落ち合った。7PMに食事を堪能したあとレイトショーで「レ・ミゼラブル」を鑑賞した。今度は眼から水分を大いに失った。
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映画「個人教授」とランボルギーニ・ミウラ [車の絵]

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 私は高校生の頃、アクション映画が大好きだった。どういう風の吹き回しか、ある日ラブロマンスの「個人教授」を映画館で鑑賞した。高校生の男の子が年上の既婚女性に恋をして熱い仲となるが、程なく亭主の知るところとなり、自ら身を引くことで女性を守るというストーリーだった。大人の恋を知った純真な少年の悲哀と心の成長がラストシーンで伝わってきた。この映画に感動した私はフランシス・レイが作曲した映画主題歌のレコードを買い、飽きることなく聞いた。
 ところで、主人公の高校生と人妻の縁結びとなったランボルギーニ・ミウラは映画の封切から44年を経ても古さを感じさせない。カーデザインの普遍性が感じられる車だと思う。
 
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ポルシェ911カレラ(997型) [車の絵]

ポルシェ911カレラ997型.jpg                                                 先週、愛車アフリカツインの6回目の車検を受けた。片道3キロの通勤に使っているが、最近はロングツーリングの機会がないので、メーターの走行距離はまだ44000キロくらいだ。絶版車なので大事に乗れば少しはプレミアムがつくのではと期待しているが、エンジンが動くあいだはアフリカツインを手離すことはないだろう。
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マセラッティ450s1955年 [車の絵]

 一昔前の顧客で、当時流行のDINKSの御夫婦がいた。御主人はポルシェ・ボクスターで青果市場に通勤し、奥さんはマセラッティ・クアトロポルテで生保の営業をしていた。今は何に乗っているのだろう…。
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ダッジ・チャレンジャー1970年型 [車の絵]

 40年くらい前になるが、私が学生の頃に封切された映画「バニシング・ポイント」は主演男優よりも爆走するダッジ・チャレンジャーの方が私には印象に残った。2ドア・ハードトップクーペの外観に派手さはないが、どこか魅力的な車だった。
 数年前、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマン共演の「最高の人生の見つけ方」を妻と観に行った。   演技もストーリーも文句なしの良い映画だった。主演の二人が懐かしいダッジ・チャレンジャーとマスタングに乗って絡む場面は、予想もしなかった名車の登場に思わず興奮した。この二台は中年男性の憧れの車だから選ばれるべくして選ばれたのだと納得した。
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フォード・デュース1932年型 [車の絵]

1973年にジョージ・ルーカス監督、脚本の「アメリカン・グラフティ」が封切された。当時大学生の私はこの映画を観ながら、上京した頃の自分や友人たちが登場人物と重なって見えて感傷的になった。個々に巣立つ日が近づくと、未知の生活への期待や不安から心が落ち着かなかった。夜中に友人の家に集まっては取り止めのない話をしたり、ドライブをしたり、未成年ながらちょっぴりお酒を飲んだりした。可能性を秘めた原石だった青年たちはそれぞれが選択した人生を歩んで今は中年になっている。未来の分岐点になったあの頃に戻ることはできないが、私は平凡な現在の自分に満足している。
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ダイハツ・コペン [車の絵]

2002年にダイハツから軽の二人乗りロードスターのコペンが発売された。電動油圧ポンプでルーフが開閉するアクティヴトップ(クーペカブリオレ)仕様が採用されていることに驚いた。4気筒DOHCエンジンを搭載した高価格のマニア向け軽乗用車の生産が長続きするとは思えなかった。耐用年数を考えると価格とペイするのか疑問だったが、10年たった今、街中でも郊外でもコペンをよく見かけるようになった。コペンファンが確実に増えているのだろう。
車名の由来を、私はコッペパンのような愛らしい姿から採ったのだろうかと勝手に想像していたが、調べてみると  Compact  OPEN から来ていた。一度はオーナーになってみたい車だ。
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日本が元気いっぱいだったころのトヨタ・セラ! [車の絵]

 1990年にトヨタが発売した小型車セラは、当時としては超個性的な車だ。スーパーカーでしか見られないようなコストのかかるガルイウイングドアを日本の小型量販車に採用したベンチャー精神が、今日のプリウスの成功に繋がったのではないだろうか。室内丸見えのグラストップルーフはプライバシーこそ保てないが近未来の乗り物を彷彿とさせた。今こそ暗い世相に夢を与えてくれるような国産車が出ないかな。
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尖閣諸島問題を憂う(トライアンフ・スピットファイヤ) [車の絵]

 以前から中国共産党独裁政府のなすことが嫌いで、狂信的な中国人民に辟易していた。
 文化大革命の社会混乱により世界の発展から取り残されていた中国に対して、日本の戦後補償やODAが大いに貢献したはずだが、中国政府は共産党を強固なものにし、人民を団結させるために反日教育を徹底してきた。
 南京大虐殺を誇大宣伝するための抗日記念館を設けて、共産党に都合のよい歴史教育の場としている。中国の歴史教科書には、自国の負の部分には触れていないらしい。1000万人以上の餓死者が出た「大躍進運動」。8000万人以上の死者が出た「文化大革命」(中国政府は2000万人の死者を認めている)。3700人の死者が出た「天安門事件」(中国政府は200~300人と発表)。チベット侵攻やベトナム侵攻。中国共産党が支配するようになってから60年間の犠牲者の数は2億人とも言われる。中国人民は自国の負の歴史をもっと知るべきだ。
 中国政府は経済の発展に伴って軍備を増強し、東シナ海、南シナ海に覇権を広げようとしている。
 上海事変70周年の反日抗議デモの拡大を抑えるために動因された警察の説得の文句に驚愕した。「今は辛抱しよう、もうじき空母を保有するようになったら・・・。」
 尖閣諸島で中国の密漁船長が逃走するために海上保安庁の船に体当たりしたビデオをおそらく中国は捏造だと言い張るだろう。裁判まで非公開の証拠物かもしれないが、中国が事態をますます深刻にしていることを考えると、一刻も早く世界に公開して中国の非を公けにして欲しい。
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ボンドカーに採用されたマスタングマッハ1 [車の絵]

 アメ車ではマスタングが一番好きだ。映画「007ゴールドフィンガー」で、ボンドが乗るアストンマーチンDB5とスイスの山道で絡むシーンに、発売されて間がない1963年式マスタングコンバーチブルが登場した。英国車とアメ車の対決だが、両車とも強く印象に残った。映画「ブリット」のカーチェイスで有名になった1968年型の新型マスタングは旧型をリファインしたデザインだったが、まさに「野生馬」のイメージだった。
 映画「007ダイヤモンドは永遠に」でモデルチェンジしたばかりの1971年式マスタングマッハ1がボンドカーとして登場した。大きくなったボディにコンパクトカーのイメージは消えていた。そのマッハ1がラスベガスで繰り広げるカーチェイスは映画の見せ場だったが、気がかりな点がひとつあった。
 パトカーに追われて路地に逃げ込むボンドとボンドガールの乗る真っ赤なマッハ1。路地の先は一段と狭くなり、通り抜けるのは無理のようだ。ボンドは道路際の段差を利用して、マッハ1の左側を宙に揚げて片輪走行でビルとビルの隙間を走り抜けた。車内のボンドたちが会話を交わすところで唐突に傾きが逆になる。ビルの隙間を抜けたときは、マッハ1は右側を揚げた片輪走行になっていた。どうしてこうなるの、と腑に落ちなかった。
 最近読んだ映画の解説書で真相が分かった。映画会社のスタッフがこのシーンを製作中、マッハ1がビルの谷間からでてくるシーンは何とか撮影できたが、最初の片輪を揚げるシーンは何度やっても失敗していた。そこで有名な旅回りのスタント芸人が起用された。ビルの隙間に突入するシーンの撮影には成功したが、スタッフが考えていたのとは車の傾きが逆になっていた。そこでつじつまを合わせるために、社内のシーンが挿入されたのだった。大きなマッハ1でスタントをすることが困難なことがよくわかった。
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